「地域団体商標」で地域ブランドを促進

 

新潟経済社会リサーチセンターの尾島です。

本日は、一度途絶えた伝統織物を地域ブランドとして復活させ、産地復活の契機とした新潟市江南区(旧亀田町の地域)における「亀田縞(かめだじま)」の復活プロジェクトの事例をご紹介いたします。

 

亀田縞

 

「地域ブランド」とは

地域の強みを活かした商品・サービスの価値を高めて、日本を代表するブランドに育てようとする取り組みが全国各地でみられます。

こうした地域における取り組みを支援するためには、商標法ではこれまで「地域名」と「商品名」の組み合わせは原則として商標登録することができませんでした。特許庁ではこうした地域ブランドを支援するため、2006年4 月に「地域団体商標制度」を創設しました。

同制度は、地名入り商標における「全国的な知名度」という登録要件を「隣接した都道府県で知られる程度」にまで緩和し、「地域名」と「商品名」の文字だけで商標として認定する制度です。

「地域団体商標」は、2016年3 月現在で全国に580件以上、県内での取得件数は10件あります。小千谷縮や、加茂桐箪笥、村上木彫堆朱のような伝統的工芸品から、90を超える蔵元が技を競い合い、国内外への出荷量を伸ばしている新潟清酒、作付面積では全国1位の枝豆を代表する新潟茶豆など特徴的な地域ブランドが登録されています。

 

新潟県内の地域団体商標取得件数

 

「亀田縞」の概要

こうした中、地域伝統織物で地域ブランドを目指してている「亀田縞」の取り組みをご紹介します。

具体的には、参加事業者数10社でつくる「亀田縞ブランド推進協議会」(新潟市江南区)についてお知らせいたします。

「亀田縞」は、約300年前の江戸時代にまでさかのぼる農民が使用した農作業着の生地のことです。亀田地域は、かつては“亀田郷”と呼ばれた大湿地帯があり、当時農民の水耕作業は、腰まで水に浸かりながらの過酷な農作業でした。このため、丈夫でヒルなどを寄せ付けず衛生的でありながらお洒落でもある木綿織の農作業着として愛用されました。大正期には生産者600を超える木綿織物の産地を形成していました。

戦後になって和装から洋装に移行すると「亀田縞」の需要は減少し、1952年には完全に生産されなくなりました。こうして亀田地域は、国内・輸出向けの綿化合繊織物を生産する産地と変化していきました。

ところが、1985年のプラザ合意により、急激な円高が産地を襲いました。3 年間で1 ドル240円から120円にまで円高が進み、輸出先からの受注は価格急上昇によって落ち込みが続き、多くの機屋は廃業を余儀なくされました。

 

亀田縞復活のプロジェクト

2001年には当地域における織物製造業者は2社を残すばかりとなっていました。さらに円高が続き、輸入品の台頭によって既存の受注が激減することで繊維産地としての亀田は衰退しました。協同組合が産地としての生き残りを模索するなか、ふとしたことから「昔、亀田縞という伝統織物があった」という話が浮上しました。

当時は既に生地見本も失われていましたが、幸いにも廃業したある機屋に残っていた亀田縞オリジナルの生地を参考にして生地見本が作られ活用のチャンスを窺っていました。地元新聞社に伝統織物として亀田縞が取り上げられたのを契機に、亀田縞を再び製品として復活するプロジェクトがスタートしました。

亀田縞の生地を2 社が製造し、組合のなかに販売会社を設立して製造販売一体の体制で進められました。

 

ワーキングウエアとしての海外での評価

同プロジェクトでは、営業力を強化し、東京、大阪を足がかりとして若者に人気の高いセレクトショップとの取引も生まれました。また、著名なカタログ販売で亀田縞の製品が取り上げられてからは首都圏での知名度は大きく向上しました。

2010年に入ると、既存の海外販売ルートを頼りにアメリカでの展示会に亀田縞を出展すると、バイヤーが注目するようになりました。亀田縞は由来が農作業着だったので、アメリカのワーキングウエアのジーンズを代表とするデニムの文化とは抜群の相性でした。さらに、同じ藍染であっても日本の藍染の美しい色合いが市場ニーズに合致しました。

 

亀田縞とデニム

 

地域伝統織物で地域ブランドを目指して

亀田縞としての3 つの条件は、「亀田の土地で生地を織ること」「かつては藍染、現在はインディゴ染めが入る」「硫化染めも入れてある」です。さらに、実際の織物には亀田縞としての糸番手や糸密度の標準値が決まっています。

縞模様のパターンは亀田縞独自のもので、柄と配色数は、2 社で400を超え、品揃えも豊富。

また日常着として何十回洗ってもへたらない丈夫さは最も大きな亀田縞の特徴となっています。

 

今後の展開

亀田産地が苦境に追い込まれた際に、復活にかけたプロジェクトの契機となった亀田縞は、その後ヨーロッパ、アジアの展示会にも出品されました。そして2009年に地域ブランドとして厳しい選考基準をクリアしたあと「地域団体商標登録制度」の登録を実現しました。

本商標は通常の商標登録と異なり、県外における知名度の高さが基準となります。初回申請時には門前払いでしたが、2 年、3 年と拡販に向けた地道な活動を続け、実績を積むことによってようやく登録に漕ぎつけました。こうして得られた信用力を背景にして官公庁取引でも優位性を発揮しています。

今後は、海外ブランドとの連携商品の開発にも取り組むため、現在、海外の有名ブランドとのコラボ製品の試作品開発にも取り組んでいます。プロジェクトに当初より携わってきた亀田繊維工業協同組合の立川博史常務理事は、「目指すのは、世界からの注目を浴びることで日本への逆輸入により亀田縞の知名度向上を図りたい」と国内市場への次のステップも見据えています。

 

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『センター月報』2017年8月号の「地方叢生の視点」を加除修正いたしました。