景観まちづくりで地域活性化~「塩沢宿牧之通り」まちづくり事業~

 

新潟経済社会リサーチセンターの尾島です。

本日は、旧三国街道の宿場町であった県道沿線のまち並みと景観を市民が中心となって再現した景観まちづくりの事例をご紹介いたします。美しい景観のあるまち並み整備を立ち上げた牧之通り組合の中嶋成夫組合長にお話をうかがわせていただきました。

 

景観まちづくり

 

県道整備からまち並みの再現へ

塩沢は、江戸時代には関東と越後を結ぶ三国街道の宿場町として米や越後上布、塩沢紬の産地として栄えた町です。2005年に南魚沼市と合併しましたが、塩沢産・魚沼コシヒカリで有名なおコメの産地でもあります。当地の旧塩沢地区は約2万人の人口でしたが、若者の都会への流出と高齢化が進み、宿場町としての面影も失われつつありました。

旧宿場町の特徴を残す雪国の町家様式と雁木通りは、無秩序な改装により次第にその魅力と、商店街のにぎわいを無くしつつありました。おりしも県道の拡幅事業が計画されて、県道365号の拡幅請願書を提出したものの、計画は簡単には進みませんでした。このため、住民と行政とが協議を繰り返した結果、単なる道路の拡幅事業ではなく、旧三国街道のまち並みである牧之通りの再現、街路と建物の整備を同時に行うことで景観を大切にしたまちづくりの動きが生まれたのです。

 

行政指導から市民発のまちづくりへ

実際に計画を進めるには一筋縄ではいきませんでした。既に対象地区の4割が勤労者世帯となっており、商店街や観光地としての振興策だけでは住民の理解が得られませんでした。そこで、住みやすいまち、住民が誇りを持てるようなまちづくりについて、諦めずに話しあいを続けた結果、景観を重視したまちづくりに対する関係者の同意にようやくこぎつけたのです。

塩沢は地元の歴史的な名士として雪深い越後の生活を書いた江戸時代の名著「北越雪譜」の著者鈴木牧之の生地です。このため計画では、旧三国街道の宿場町であった雪国と雁木通りを活かした牧之通りの復元と建物の改修が検討されました。まず牧之通り組合を立ち上げ、県や市と連携した塩沢雪国歴史街道まちなみ形成事業がスタートしました。

 

地域住民によるまちづくり計画の策定

翌年2000年に「塩沢らしいまちづくりを考える会」が発足し、「雪国であること、歴史・文化に恵まれており、雁木に代表される景観が特徴的なこと」とする統一コンセプトが策定されました。路線沿いには冬場の歩行者の雪よけとなる雁木整備を進めるため、「塩沢雪国歴史街道」計画が策定され、地域住民を中心にまち並み整備のイメージが次第に固められました。こうして03年から建設工事が開始され、6年間かけて09年にようやく電線の地中化と道路・雁木整備事業が完了したのです。

実際には住民が道路拡張後に両側をセットバックして各2m幅の空間に雁木を整備しました。さらに、道路に面した40軒が統一感のある白と黒と茶を基調としたデザイン標準に沿って昭和10年代までは残っていた宿場町の面影を残した建物の改修工事を行いました。雁木整備は、県・南魚沼市・住民が各1/3の負担を行い、住民は道路拡張に伴う補償金なども利用して雁木と建物の改修費用を捻出しました。

 

住民が進める景観まちづくり

こうして魚沼の美しい山並みを背景としたモノトーンの落ち着いた屋波が軒を連ねるまち並みが出現しました。過剰な看板や幟(のぼり)を規制し、住民主導で進められた塩沢の景観まちづくり事業は2011年の「都市景観大賞」受賞をはじめ、数々の表彰を受け、15年には「アジア都市景観賞」を受賞するなど各界からの高い評価を受けています。

ただし、施設整備が終わったからといってまちづくりが完結したわけではありませんでした。06年には「射干の会」という女性を中心とする団体によって雛人形飾り、毎年開催される茶会などソフト事業が運営されるようになりました。ハード・ソフト両面での施策展開によって、そこに暮らす住民が居心地よく、安心して生活することのできるまちを住民自身が主導し、行政との連携によって作り上げました。まちの人達に自然と笑顔が生まれ、そうした活動がテレビやマスコミなどで報道されるようになると町外からも多くの人達が訪れるようになり、新たな交流とにぎわいも生まれています。

牧之通り組合を立ち上げ、当初から事業に携わってきた中嶋組合長は「まちづくりとしては未だ道半ばだ。さらに住んでよかったと心から思えるような美しいまちを目指したい」と住民主導で進めるこれからのまちづくりについても満面の笑みで語ってくださいました。

 

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『センター月報』2017年11月号の「地方叢生の視点」を加除修正いたしました。