海士町「島会議」で垣間みた成功の秘訣

 

新潟経済社会リサーチセンターの江口知章です。

私どもの機関誌「センター月報」では、毎月、井門観光研究所の井門隆夫先生より、地域活性化や観光振興などに役立つヒントやアイデアなどをご紹介いただいております。

今月の「センター月報5月号」では、地域振興の面で有名な島根県の海士町の取り組みについて、ご説明いただきました。本日はその原稿の一部をご紹介いたします。

 

海士町・島会議

 

持続可能な地域づくりとは

 

島根県の日本海に浮かぶ隠岐諸島に「海士町」という町(中ノ島の一島一町)がある。サザエや岩牡蠣、アワビなどの水産資源に恵まれた小さな島だ。

海士町は、「地域振興」の面では知らない人がいないほど知られた町でもある。人口減少で財政危機に瀕していたが、あえて風土の違う周辺の島々との合併を回避して自立の道を選び、民間出身の町長が指揮を執り町の特別職や職員の給与カット等の徹底した行財政改革を行った町だ。

この海士町で、先日「観光協会の挑戦」というテーマで観光関係者向けの「島会議」が開催された。島会議とは、海士町で地域に関する特定のテーマについて議論し、飲みあかしながら語る会である。これまでに13回、定住や教育など地域に関わるテーマで、のべ1,000人以上の方々が参加してきた。今回のテーマは「観光」。観光庁や地域経済活性化支援機構(REVIC)等の観光関連組織や島根県をはじめ全国の観光協会の担当者が100名以上集まった。それだけ、海士町の取り組みから学び、変わるきっかけをみつけようとしている地域が多いことがうかがえる。

今回は、「観光協会はどうすれば収益事業を行う組織になり得るか」という論点が設定されていたこともあり、私も興味を持ち参加してきた。観光協会が収益事業をおこなう点に関しては海士町もその先駆者として知られている。

(中略)

海士町は、財政を立て直したことで脚光を浴びがちだが、再生の隠れたポイントは「教育」面での取り組みだった。生徒数の減少で廃校の危機にあった隠岐島前高校に「島留学」制度を導入し、寮生活を送る本土からの留学生を受け入れた。併せて、地域の人たちを先生に地域を学ぶ地域創造コースを作った。さらに、受験に向けた勉強もしなくてはいけないと町営学習塾まで開設。

これらを現場でオペレートしたのは、ソニーを辞めて隠岐にIターンした岩本悠さんだ。3年間しかいない校長先生にとって1年目と3年目は実質引継ぎで、実質的に動けるのは1年だけ。たった1年ではこうした改革は難しい。そこで「高校魅力化特命官」として岩本さんの役割が必要だった。改革ができるのは、ヨソモノ、ワカモノといわれるが、まさにその通り。利害やしがらみに縛られなかったからこそ、隠岐島前高校は素晴らしい進路を誇れる高校になり、若者の減少に歯止めをかけた。

では、なぜ岩本さんは隠岐にきたのか。それはかつて学生時代に隠岐で経験したインターンシップがきっかけだった。海士町では、現在も「ワーキング・ツーリズム」と称して、学生インターンシップを通年受け入れている。空き家をシェアハウスとして提供し、その時々で手が足りなくなる島内の現場に送り込む。岩本さんもそれを経験し、一度は都会の有名企業に就職。そして、戻ってきたのだ。

海士町のインターンシップは、東大・京大・一橋と頭のよい大学の若者が多い。たまたまかもしれないが、もしかしたら「所得」という概念を比較的早く理解できるからではないかと思う。多くの学生にとって、就職の際にまず興味があるのは「収入」だ。それは「初任給が多い企業」「たくさん給与を与えてくれる会社」等。そして、都会に吸い寄せられていくのだが、そこで実感するのは「高い生活費」だ。その後、給与の割に厳しい業務をこなすうちに、たとえ収入は少なくても、生活費をかけずに「所得」を確保できるとしたら、地方のほうが住みやすいし、子育てもしやすいのではないかと思い始める。「所得」さえ理解できると、若者はいずれ地方を目指す。そのため、海士町のインターンシップでは、新卒を追い求めることはせず、「潜在的Iターン者」を育てるのに徹している。

しかし、インターンシップも、やろうと思えばどの町でもできる。なぜ、海士町はインターンシップを通じて多くの「Iターンの定住者」を得ることができたのか。

その理由の第一は、「職場」が用意されていることだ。インターンシップのコーディネートをしているのもIターンの定住者だが、彼らは町が用意した海士町観光協会に就職する。そこで「マルチワーカー」という職に就いている。これは町の小規模産業の灯を消してはならぬと、高齢化した民宿や漁業、酒造業の繁忙期の支援が主業務。夏は民宿の送迎や清掃を、冬は岩牡蠣や日本酒の生産現場へ、春秋はイカの冷凍工場へと季節ごとに自らやインターン生を派遣していく。そのために観光協会は人材派遣業の免許も持っている。

そして、こうした業務が専業化し、旅行業やクリーニング業もおこなうようになった。これらが全て観光協会の収益事業になっている。観光といっても「集客」から入るのではなく、「定住」から先に入った。

観光客を受け入れるインフラ整備からおこなったのが海士町観光協会の収益事業の特徴だ。

一方、職があっても生活環境も大切だ。しかし、都会からきた若者がまず感じること。それは「海士町には何もない」ことだ。コンビニもなければ、スーパーもない。売っているものも決して安くはない。遊ぶ場もなければ、本土までは船で半日もかかる。このことは、島会議にきた参加者も感じたことだろう。

なぜ、若者はそれでも定住するのか。

それは住んでみるとわかる。海士町は、島は大きくないものの、良質な水が湧き米作りもできる。自家用の野菜も育てている。定置網にかかった新鮮な魚も手に入る。そうした生産物が自然と住民間で流通するのだ。海士町でよく聞く言葉に「おすそわけ」がある。あるものをいただいたら周辺にもおすそわけする。それをどの家庭もおこなうことで、どの家庭にも常に何か食べるものがあり、わざわざ買わなくても済むのである。

(中略)

ひと言でいえば、海士町では「持続可能な定常型経済」が成り立っているのである。

(中略)

海士町は「大量格安販売のツアー」には向かない。カニもエビも十分に提供できないためだ。そうではなく、数を追うことなく「価値」と「単価」を追うことを目指している。その結果、マルチワーカーが支援した民宿の単価は5年間で2,500円も向上した。

 

井門隆夫(2017)「観光イノベーションで地域を元気に 第1回」『センター月報』2017年5月号

 

感想

「客数」だけではなく、「品質」と「単価」の向上を視野に入れると、井門先生がおっしゃる通り、観光振興と地域づくりが連動するようになるのかもれしれません。